知識なし、経験なしで開業した、ある歯科医師の物語

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「どういう経緯で20代から院長をしてるの?」

「何で歯科治療が必要なくなるような情報を発信してるの?」

などなど、最近患者さんやメルマガ読者さんから僕の過去や現在の活動について質問を頂く機会が増えてきました。

特に隠していたわけではないのですが、わざわざ公の場に公開する必要はないと思っていましたし、「誰も興味ないだろうな」という考えもありました。

ただ、このブログも徐々に規模が大きくなる中で「どんな人間が書いているのか」という部分を伝えていくのも大切なんじゃないかと思うようになりました。

インターネットが生活の一部になっている現在、僕が記事にしなくても色んなところから情報は引っ張ってこれると思いますが、本人の口から伝えることに意義があるような気がしています。

そこで今回は僕の過去・現在の軌跡を簡単にお話したいと思います。

では早速いきましょう!

なぜ「なりたい職業ランキング」圏外の歯医者を目指すようになったのか?

毎年日本の小学生に対して行われる、なりたい職業ランキング調査。そのTOP10には間違いなく入ることが出来ない職業が「歯医者」です。

「そんな職業をなぜ目指したのか?」、先ずはここからお話したいと思います。

テレビでは医学生に対して「なぜお医者さんを目指されたんですか?」と質問するシーンで、「小さい頃に命を救ってもらったから、私も医者になって患者さんの命を救いたいと思ったんです。」という感動的なエピソードが返ってくるのをよく目にします。

が、残念なことに僕にはそんなカッコいいエピソードはありません。小学校、中学校、高校と特にやりたい仕事が見つかることもなく、漠然と生きていました。

ただ何となく、父(歯医者)が毎日真摯に仕事に取り組む姿勢に「カッコいいな!」とは感じていました。

どれだけ仕事が忙しくても、家族にイライラした姿を見せたことは一度もありません。ほぼ毎週末、勉強会や学会などに出席していても、家族との時間を大切にしてくれる姿に「理想の父親」って多分こういう人のことを言うんだろうなと思っていました。

実際小さい頃に、「父親と一緒にいる時間が少ない」とは微塵も思いませんでした。

「将来の進路はどうするのがいいかな?」と父に相談した際も「自分がやりたいと思えることをやればいいさ。歯医者になる必要もないし、家も継ぐ必要はないから。」とにこやかに言っていた記憶があります。

今思えば親として「同じ仕事に就いて欲しい」とか「家業を継いで欲しい」など色々思うことはあったと思いますが、僕の意志を尊重してくれた姿に懐(ふところ)の広さを改めて感じました。

結局僕は、「どうせやりたいこともないんだから、自分が憧れる人と同じ職業にしよう!」と父と同じ歯科医師を目指すことにしたわけです。

人生のターニングポイントは最愛の人の死

「歯医者になる」と決めたのはいいのもの、頭の悪かった僕は大学に入るまでに他の人の2倍は勉強しなければいけないほど苦労はしましたが、何とか歯科医師免許を取ることが出来ました。

卒業後に選んだ研修先は歯科口腔外科。親知らずなどの難しい抜歯やガンの手術といった外科処置を専門に行う科です(一般的な歯科治療はあまり行わない)。

僕の人生が大きく変わったのは研修期間がちょうど半分を過ぎようとした頃です。

父が、亡くなったんです。

身を粉にして仕事に取り組んできた父はステージⅣの末期ガンになっていました。最終ステージまで進行している状態で発見され、僕が研修先(北海道)から実家(愛知県)に駆けつけた時には脊髄への転移で下半身不随の状態。コミュニケーションもままならないほど、ガンが父の体を蝕(むしば)んでいました。

それから10日間ほど一緒にいる時間がありましたが、父から歯科医療について教えてもらう機会は一度もないまま別れを告げることになりました。

その後、人生で一番尊敬していた人の死を悼(いた)む中、実家の歯科医院を閉院する手続きに追われました。(法律上、研修医が終わらなければ医院の管理者にはなれない)

通院されていた全ての患者さんに対して手紙を書き、治療が途中になってしまったことをお詫びして然るべき歯科医院を紹介させて頂きました。

そして、今後の進路についても考えなければいけないと思っている中、一人の衛生士さんが実家に訪ねて来てくれました。

「知識なし、経験なし」での開業のきっかけ

ある衛生士さんとは前岡歯科院で長年勤めてきた方でした。「遼馬先生(僕)にこれだけは伝えておかなければいけないと思って・・・」とわざわざ家まで来てくれたんです。

衛生士さんは

先生は今研修医なので前岡歯科院を閉院しなければいけないのはよく分かっています。研修医が終わってからもしばらく修行をしてから戻って来たいという気持ちも理解しているつもりです。

でも、それではお父さんの遺志を伝えることが出来ないと思って今日会いに来ました。

お父さんのやっていた歯科治療は日本でも5本の指に入るレベルのものです。もし、先生が5年〜10年、修行してから開業されたとき、今の患者さんが戻って来たとしても、他院での治療を受けた後になってしまう可能性が高いと思います。

それでは、本当の意味でお父さんがやった治療の跡を見ることは出来ません。でも、研修医が終わってからすぐに開業すれば、多くの患者さんに戻ってきてもらえると思いますし、その方々のお口を通して”本当の歯科治療がどんなものか”、見てもらえると思うんです。

今の研修先は口腔外科だと聞いているので、一般歯科が分からないのもよく分かります。ただ、私たちがサポートするので一緒に前岡歯科医院を再開してもらえませんか?

メインテナンスの患者さんだけの診療でも構いません。一度考えてみて下さい。

と涙ながらに伝えてくれました。正直、思いも寄らなかった言葉でした。

父が仕事に全力で向き合っていたのは僕も分かっていましたし、「プロ意識を持った人間」というのはこういう人のことを言うんだろうなとは何となく感じていました。

でも僕は歯科医師になってから父が治療しているのを直接見たことはなかったし、他の先生の一般的な歯科治療も見たことがなかったので、”父がどれだけすごい歯科医師なのか”全く知りませんでした。

ただ、「一緒に働いていた衛生士さんにここまでの想いを抱かせられるだけの仕事をしていた」と、この時初めて教えてもらったんです。

当時は「何がいい治療で何が悪い治療なのか」も全く分かっていませんでしたが、衛生士さんの熱意に押されて研修医が終わり次第、前岡歯科医医院を再開することに決めました。

本当の歯科医療に出会った、歯科医師2年目

研修医が終わった4月から2ヶ月間、多くの方に助けて頂きながら開業の準備をしました。

父と親交のあった先生に一般歯科の基礎を教えていただいたり、業者さんに手伝って頂きながら医院の開業に向けて法律上の手続きも進めたりと、やらなければいけないことが山積みでした。

ドダバタな毎日でしたが、何とか6月に新生・前岡歯科医院の院長として新たなスタートを切ることになりました。

元々勤めていた衛生士さんにパートという形で戻って来てもらい、色々と教えて頂きながらメインテナンスの患者さんを中心に診療を再開。

もちろん、当時は知識も経験もなかったので、週5日の診療はとても無理で、”週1〜2日のみ前岡歯科医院で院長、残りの5〜6日間は自分の医院を休診して他院で勉強する勤務医”のような状況でした。
(現在は完全に独立して週5日、前岡歯科医院での診療を行っています)

「いつ軌道に乗るのか、いつ一人前になれるのか」といった不安まみれの毎日でしたが、そんな中で得られた大きな経験があります。

それは父の治療を患者さんのお口を通して体感出来たこと。

基本に忠実に、1本1本の歯に対して一切の妥協がない徹底した治療。治療終了から20年、30年と何の問題もなく経過している予後の良さ。

そして何よりも、虫歯や歯周病の原因に対して根本的にアプローチする歯科医師としての姿勢が印象的でした。

今、そしてこれからも父と一緒に目指していく歯医者の形

昔から前岡歯科医院に通われている患者さんは口を揃えて言います。「お父さんは厳しかったよ」と。

話を伺うと、プラークコントロール(歯磨き)をはじめとした習慣が改善されなければ治療をしてもらえなかったそうです。

僕は「確かにそうだよな。」とこの時改めて思いました。結局、歯医者に来る以上、お口の中に虫歯や歯周病の原因が必ずあります。

その根本的な部分にアプローチせずに治療をスタートしても、将来ほぼ間違いなく歯を失うことになるので、治療をすることに大きな意味はありません。

どれだけキレイな見た目に仕上げたとしても、5年すれば必ずまたトラブルが起こるでしょう。

治療終了から20年、30年と何の問題もなく歯を使っていくためには、本人がそれまでの習慣を変え、1本1本の歯を自分の手で大切に管理しなければいけません。

どれだけ技術の高い歯科医師が治療したとしても所詮は対症療法。
(原因に対してではなく、起こっている症状に対して行う治療が対症療法)

本当に大切なことは、「患者さん自身が歯の価値に気づき、普段から歯を大切に管理できるかどうか」だと思います。僕ら歯医者をはじめとした歯科医療従事者には、それを全力で伝えていく責任があると考えています。

そして患者さんに求めるものがある以上、僕らも常に進化し続けなければいけません。「歯を残したい」という想いに全力で応えるために。

幸い、僕には父の治療を伝えてくれる患者さんがたくさんいます。そして、お口の中を通して父がいつも教えてくれます。「1本の歯に魂を込めろ!」と。

父の治療と他の先生がやられた治療は一目見た瞬間に分かります。それくらい同じ「歯医者」であっても違うものです。

どんなに小さな治療でも「目の前の歯を救いたい」という想いがひしひしと伝わってきます。

もちろん、その治療がプレッシャーになることもたくさんあります。ただ、明確な目標があるからこそ、一切の妥協をせずに毎日患者さんと向き合えているのだと思いますし、「今、自分にしか出来ない仕事をしている」と自信を持って診療に臨めている気がします。

決して一人ぼっちではなかった

開業当初から今まで、前岡歯科医院に在籍するドクターは僕一人です。

治療内容の最終決定は僕がしなければいけませんし、経理の面も管理しなければいけません。トラブルが発生しても誰かにアドバイスを求めることも出来ません。

そのため常に頭はフル回転。「僕が何とかしなければ!」と自分を奮い立たせながら日々診療を行っていました。

ただそれと同時に「いつも一人ぼっちだな」と孤独を感じてもいました。「父がそばにいたらな・・・」、何度そう思ったかわかりません。

でも、ある患者さんの一言でその思いから解放されることになりました。その方は霊感の強い方だったのですが、治療中に僕の方をふと見つめて言いました。

「お父さんが先生の後ろにいますよ。口の触り方や話し方もお父さんにそっくり。きっといつも一緒に治療してるんですよ!」

その言葉に目頭が熱くなりました。他の方にも同じようなことを言って頂く機会が何度かあり、今は確信があります。

「父はいつもそばにいる。決して一人じゃない。」

そして、それまで勝手に孤独を感じていたことにも気づかされました。母は献身的にいつも治療をサポートしてくれていますし、父と親交のあった先生方もお会いできた時には色々と気遣って下さいます。

「僕以上に恵まれた環境で歯科医師をできる若手はいない」

最近はそう思えるようになりました。その環境に感謝しながら、これからも日々理想の歯科医療を目指して努力していきたいと思っています。

まとめ

今回は、僕の過去から現在までの物語をお話させてもらいました。

「お口の健康に役立つ情報」とはならないと思いますが、「どんな人間がこのブログを運営しているのか?」という部分はお伝え出来たのではないかと思っています。

大学に入学してから僕の夢は「父と一緒に同じ前岡歯科医院で歯科治療をする」というものでした。ただ、残念ながらその想いが実現することはありませんでした。

今でも「もっと父に色々教えてもらいたかった」、「もっと色んなところに家族で旅行に行きたかった」、「もっと感謝の気持ちを伝えたかった」「もっと、もっと・・・・」と想いが溢れてくることはよくあります。

ただ、頼れる父がいないからこそ、自分の知識・技術を本気で高められる環境にあることも事実です。

父の死を前向きに受け止め、自分の糧にしていくことが僕に出来る最大の恩返しではないかと思うようにしています。

いつか僕が死んだ時に世界で一番尊敬する父から「よくやったな!」と言われるような治療を目指して、これからも成長していきたいと思います。

最後は決意表明のようになってしまいましたが、今回は以上です。


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ABOUTこの記事をかいた人

愛知県一宮市にある前岡歯科医院の院長で、『Dentalhacker』のライター。歯周病治療をベースに、「1本の歯を残す」ことにこだわった診療を行っている。『歯の本当の価値を伝いたい』という想いのもと、"歯ブラシから始まる予防歯科"の大切さを広めている。 たまにやる筋トレとバス釣りが趣味。根は真面目な性格だが、人を笑わすのが好きなので、よくウケ狙いに走る。診療中、患者さんに「最近肥えやーた?(名古屋弁で"太った?"の意)」と言われると、ヒドくテンションが下がるナイーブなハートの持ち主でもある。